SSブログ

旧麻布竜土町散歩 [小さな旅]

菅さんが総理になりました。私も「閑さん」ですので、東京メトロ乃木坂駅から六本木ヒルズまで歩きました。

二・二六事件の歴史をまたまた、しつこくたどりました。「旧麻布竜土町」を求めて。

先ず、めざすは東京ミッドタウン。でもここの町名は麻布でもなく、六本木でもなく「赤坂9丁目」なのです。
東京ミッドタウン、元は防衛庁、東京で一番高いビルです。昭和の初めは、陸軍第一師団歩兵第一連隊が有りました。二・二六事件の時、青年将校栗原安秀らは、ここから首相官邸襲撃に向かったのです。
DSCN1915.jpg

ミッドタウン前の外苑東通り向こう側が「旧麻布竜土町」です。
現在は六本木7丁目。現在では麻布より六本木という地名の方が好まれるのでしょうか?「麻布竜土町」という地名は無くなりました。

現ミッドタウン、旧歩兵第一連隊の真ん前に、大正の頃から有ったフランス料理屋が「竜土軒」です。現在は再開発のため移転して、跡地は更地になっていました。

岩波文庫、田山花袋「東京の三十年」の中で、この「竜土軒」が記述されています。
「麻布竜土町の竜土軒で会を開いたので竜土会という名が出来た」
その会には、蒲原有明、国木田独歩、柳田邦男、島崎藤村なども参加していたという。
下の写真は「竜土軒」跡地、後方が六本木ヒルズ。
DSCN1916.jpg

清張の「昭和史発掘」を読むと、「竜土軒」は大正の頃は、自然主義文学者のたまり場であったが、昭和の初期では、歩兵第一連隊(現東京ミッドタウン)、歩兵第三連隊(現国立新美術館)も近いので、青年将校のたまり場になったという。彼らは「竜土軒」で二・二六事件の計画をしたそうです。

ここから国立新美術館(旧歩兵第三連隊跡)にむかいます。
東京ミッドタウンと国立新美術館を結ぶ道路は、どういうわけか段違い平行に二本走ってます。写真は下の段の道路から石垣の上の段の道路を撮りました。
DSCN1917.jpg
旧陸軍の屯所を結ぶ道だったせいか、なんとなく歴史を感じさせるのは、思い過ごしなのでしょうか?

国立新美術館。
旧陸軍第一師団歩兵第三連隊跡地です。二・二六事件の時、青年将校安藤輝三らは、ここから鈴木侍従長邸襲撃に向かいました。
DSCN1919.jpg

六本木7丁目はまだ再開発途上で、古い家並みが残っています。六本木ヒルズの近くに、「三船」という料理屋を見つけました。その入口に「麻布竜土町」の表記がありました。「旧麻布竜土町」を求めて歩いた甲斐がありました。
DSCN1920.jpg

古い町名を掲げる店だから老舗かと思ったら、ネットで見る限り、今は亡き「三船敏郎」のプロダクションのライセンスで、1年前にオープンした店とのこと。「三船生誕90年定食」なるものがあるらしいです。






nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。