原爆忌;原水禁運動発祥の地 [散歩]
原爆忌が今年もやてきました。
特に今年は福島原発事故があり、目に見えない放射性物質がパニックを引き起こしていますが、、、
私たちの世代が思い出すのは1954年の第五福竜丸事件です。
あの時は、放射能雨に打たれると、髪が抜けるというので、雨が恐ろしかったことを思いだします。
マグロに、ガイガーカウンターをかざすニュース映画を見た記憶があります。
この事件がきっかけで原水爆禁止運動がおこりました。
その発祥の地は、杉並区の我が家から歩いて数分のところです。
そこにはオーロラと名付けられた記念碑が有ります。
説明文です。
高校時代には「みたび許すまじ原爆を」の歌を歌いましたが、今の原水禁運動の現状をみると、むなしい感じがします。
そのむなしさ、閉塞感は大江健三郎の岩波新書に漂っています。
一気に、無差別に十万人以上の、民間人を殺戮した兵器、その使用を正当化する、米国人には怒りを禁じえません。戦後の復興や、経済発展、国家安全保障も原爆使用者であるアメリカに頼ってきた状況を考えると、いっそうむなしさが増します。
特に今年は福島原発事故があり、目に見えない放射性物質がパニックを引き起こしていますが、、、
私たちの世代が思い出すのは1954年の第五福竜丸事件です。
あの時は、放射能雨に打たれると、髪が抜けるというので、雨が恐ろしかったことを思いだします。
マグロに、ガイガーカウンターをかざすニュース映画を見た記憶があります。
この事件がきっかけで原水爆禁止運動がおこりました。
その発祥の地は、杉並区の我が家から歩いて数分のところです。
そこにはオーロラと名付けられた記念碑が有ります。
説明文です。
高校時代には「みたび許すまじ原爆を」の歌を歌いましたが、今の原水禁運動の現状をみると、むなしい感じがします。
そのむなしさ、閉塞感は大江健三郎の岩波新書に漂っています。
一気に、無差別に十万人以上の、民間人を殺戮した兵器、その使用を正当化する、米国人には怒りを禁じえません。戦後の復興や、経済発展、国家安全保障も原爆使用者であるアメリカに頼ってきた状況を考えると、いっそうむなしさが増します。
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