五日市街道を行く [小さな旅]
五日市街道は杉並区梅里で青梅街道から分岐して、杉並区、吉祥寺、三鷹、小平、砂川、福生などを経て、五日市に至る街道です。
五日市は四日市、十日市、六日市などと並んで、市場町として歴史ある名称ですが、平成の合併により、あきる野市に組み込まれ、市町村名からは消えました。
杉並区成田東あたりの五日市街道は昔の面影が残って居ます。
樹齢100年の大木が並ぶ、並木です。
16世紀に建立された宝昌寺です。
ここには地蔵がありました。
元禄時代の庚申塚もありました。
宝昌寺からちょっと東に行くと、善福寺川にかけられた、尾崎橋に至ります。
ここの説明書きを読むと、由緒がありそうです。
「源頼義」が登場しています。
なるほど、地図をみるとここで善福寺川は大きく蛇行しており、尾崎と言われる所以がよくわかります。
尾崎橋の少しさきに旧道との分岐があり、ここにも地蔵がありました。
元禄時代の地蔵です、赤い「よだれかけ」には般若心経が書かれていました。
旧道は坂になっており、白幡坂と言われ、昔は登るのに難儀したそうです。
なお、左側の塀の邸宅は小説「安曇野」の作者であり、雑誌「展望」の編集者でもあった、臼井吉見の邸宅です。
門も立派です。
学生時代「展望」は「世界」と並んで、読み応えのある雑誌でしたが、残念ながら廃刊となってしまいました。
帰り道でピレネー犬に出会いました。これで一歳だそうです。
五日市は四日市、十日市、六日市などと並んで、市場町として歴史ある名称ですが、平成の合併により、あきる野市に組み込まれ、市町村名からは消えました。
杉並区成田東あたりの五日市街道は昔の面影が残って居ます。
樹齢100年の大木が並ぶ、並木です。
16世紀に建立された宝昌寺です。
ここには地蔵がありました。
元禄時代の庚申塚もありました。
宝昌寺からちょっと東に行くと、善福寺川にかけられた、尾崎橋に至ります。
ここの説明書きを読むと、由緒がありそうです。
「源頼義」が登場しています。
なるほど、地図をみるとここで善福寺川は大きく蛇行しており、尾崎と言われる所以がよくわかります。
尾崎橋の少しさきに旧道との分岐があり、ここにも地蔵がありました。
元禄時代の地蔵です、赤い「よだれかけ」には般若心経が書かれていました。
旧道は坂になっており、白幡坂と言われ、昔は登るのに難儀したそうです。
なお、左側の塀の邸宅は小説「安曇野」の作者であり、雑誌「展望」の編集者でもあった、臼井吉見の邸宅です。
門も立派です。
学生時代「展望」は「世界」と並んで、読み応えのある雑誌でしたが、残念ながら廃刊となってしまいました。
帰り道でピレネー犬に出会いました。これで一歳だそうです。
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