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漱石生誕の地から終焉の地へ [小さな旅]

前回のブログで漱石が登場しました。今回は新宿区区内にある漱石の生誕の地と終焉の地を訪問しました。

地下鉄の東西線早稲田駅を降りると、出口の目の前が小倉屋(こくらや)酒店です。
その脇の通りは夏目坂と呼ばれています。
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小倉屋は高田の馬場に堀部安兵衛が仇討に行く時に、この酒屋で升酒を飲んで勢いをつけた曰くがある有名な酒屋である。写真のように、その記念の酒を販売していた。
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漱石生誕の地はこの小倉屋のすぐ裏。1867年生まれだから、大政奉還の年だ。吉野家の前に碑がたっていた。そういえば漱石も牛鍋が好きだった。
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漱石の父が名前をつけた夏目坂。
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漱石が鐘の音を聞いたという誓閑寺の鐘。この寺の敷地の大半はコインパーキングになっていた。
寺の経営も苦しいのか。
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当時このあたりは馬場下横丁」(高田馬場の下)と呼ばれ、現在は交差点に「馬場下」が残っていた。後方は早稲田大学。
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ここには「穴八幡宮」がある。子供の虫封じに効くそうだ。息子たちもここにお参りして「虫封じ」をしてもらえば良かった。そこにある布袋様を見て、わが身を反省した。
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漱石は随筆集「硝子戸の中」で、生家や小倉屋酒店などのことを書いている。「硝子戸の中」は朝日新聞に連載された。連載されていた当時の首相は大隈重信であった。
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早大通りから外苑東通りを南へ歩き、牛込保健センター前を左に入ってすぐ、新宿区立漱石公園がある。ここが漱石山房跡、漱石終焉の地である。銅像と山房のテラスを復元した建屋と資料館があった。
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漱石というと猫だが、犬も好きで飼い犬が亡くなる場面が「硝子戸の中」に出てくる。我が家にも老犬がいるが、、、。漱石の遺族が彼が愛した犬や猫を供養して猫塚を自宅に作ったという。ここに猫塚が復元されていた。
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資料館で関連ビデオを見せてもらった。記念撮影。
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早稲田通りに出てまっすぐ行くと、神楽坂通りとなる。人気の「五十番」で肉まんを買って帰宅の途についた。
ふつうの肉まんは380円(肉汁が多く、脂っぽい、うまいが若い人向き)
黒豚肉まんは500円(脂が少なく年寄り向き)
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